それでは、このまちの骨格を形成しているケヤキ並木の通りを紹介しよう。この通りは幅員36mで、片側二車線往復四車線で構成されている。並木の参道は参拝者を社へと誘うとともに神の権威を高めるためのものである。この参道は神宮に対し60度振られている。これは参拝を終え鳥居を出た人が、最後の拝礼をした後、神に尻を見せないためという。
この参道は建設された頃、緊急ということでセスナ機の滑走路に使われたこともあるほど通りは広く歩道もたっぷりとられ、高さ20mほどの大きなケヤキが入り並木道を形成している。この通りは神宮橋交差点から青山通り交差点まで約1.1㎞あり、途中、明治通りの交差点を底に高低差約15mほどの緩やかなアップダウンのある坂道となっているが、ケヤキ並木の沿道がファッショナブルなまちのため、楽しく快適に歩くことができる。
原宿方面からきて青山通りとの交差点を越えると御幸通りに入る。ここで幅員は15mに狭まるが、この道は天皇が明治神宮に行幸されるときに使われる由緒正しき道である。この通りが世間の注目を集めるようになったのは1975年で、山下和正氏設計のフロムファーストビルが完成してからである。この通りの沿道には、いまを時めくプラダの青山店が、クロエやカルティエなどのブランドショップとともに魅力的な街並みを形成している。
なお、表参道の通りには、青木淳のルイ・ビトン、伊藤豊雄のTODS、妹島和世のディオールなど、有名建築家の設計によるブランド店が建ち並んでいる。しかし、これらの中でもひときわ輝きを放っているのが、スイス人建築家ヘルツォーク・ド・ムーロンによって設計されたプラダビルである。金魚鉢の名で親しまれる変則五角形の平面を立ち上げ、その上部をカットし微妙な凹凸のついた磨きの入った、菱形のガラスブロック風の表層デザインは、行き交う人の感性を刺激してやまない。とりわけ夜になると、建物全体が輝いて幻想的な雰囲気を醸しており、まるで光る彫刻のようである。
なぜ原宿・表参道のまちが、人々の人気を集めるようになったのかというと、まず第一に、まちづくりの起爆剤となる先進的施設の立地と、これに伴う新しいライフスタイルの発信があげられる。近代日本の行く末を見守る神宮はいうに及ばず、戦前は、同潤会青山アパートの建設により近代的な居住スタイルが持ち込まれ、文化人など先進的な人々が暮らすようになる。また、戦後はワシントンハイツの立地に伴いアメリカ文化が導入され、もんぺや軍服姿の日本にショートパンツにブラウスまたタキシードという出で立ちの人々がまちを闊歩した。オリンピック施設の整備を契機にまちが国際化しマンションが建ちクリエイターが住むと、彼らをターゲットにブティック等がオープン、アイビースタイルの原宿族が生まれる。地元NHKの情報発信もあり、1970年代に入るとアンノン族が行き交うまちとなり、その後も竹の子族やロカビリー族が現れ、この通りに世間の熱い視線が注がれる。1980年代はDCブランド全盛期で商業地化が急速に進む、そして1990年代後半になると、海外の高級ブランド店が立地しファッションタウン化がなお一層進んでいった。
第二に、日本の伝統的手法を用い通りを軸に修復型の(ストリート型)まちづくりが展開されていることである。この方法だと、まちの変化が緩やかで人々の歩みに似て漸進的、行きつ戻りつしながら、より上質なところに到達することができる。神宮参道の通りには、ケヤキ並木が緑の軸として入り、街行く人に自然の安らぎをもたらしているが、このケヤキはもともとは東京市の小学校児童から神宮造営に向け献木されたものの一部が当てられたものである。また、沿道の店舗はファサードデザインを様々に工夫しており、街を行く人を飽きさせない。このまちの魅力はなんといっても、ほどよい広さの歩道に樹高20mほどに育ったケヤキ並木が延長1㎞にわたって配置され、ブラブラ歩きを楽しめることにある。喧噪渦巻く都会において大木の並木は、自然に抱かれているような気分にさせてくれ、安心して心地よく歩くことができる。また、このファッショナブルな通りは、ゆっくり歩くと15分ほどかかる。しかし、地形に沿って適度に上り下りする坂道なので、ウインドーショップしながら歩くには丁度よいヒューマンスケールのまちとなっている。
第三に、メリハリある街並みの形成に向け、しっかりと都市計画がなされていることである。通りに沿って醸し出される賑わいと、その裏に張り付く住宅街の静寂さとの間には、その表情に大きな落差があり、メリハリ(賑わいと安らぎ)が効いている。このまちは新宿や渋谷などのように商業地(とりわけ風俗等の娯楽性の高い店舗)が四方八方に広がっていくようなことはなかった。これだけ人が多く集まってくると、いかがわしい店も立地しそうなものであるが、この地はそうはならなかった。なぜかというと、まちづくり方針に基づき、通りに沿っては路線状に商業地域(容積率500%、高さ30m)が、またその裏側には中高層住居専用地域(容積率300%、駅側が第二種(高さ30m)で、反対側が第一種(高さ20m))が指定されており、さらに参道北側の区域には文教地区が(明治神宮を取り囲むように)指定され、これによってキャバレーやホテル又劇場の類いはもちろんのこと、パチンコ店や風俗店の立地も規制され、品のよいまちとなっている。
また、まち全体的に地区計画が策定されており、参道沿いは高さ30m以下、地階を除く階数を8以下とし、建築物の形態・意匠・色彩は都市景観に、そして1階はディスプレイに配慮すること、とされている。参道の長さの約1/4を占める同潤会アパートの再開発(表参道ヒルズ)にあたっても、ケヤキ並木の高さ20mに配慮し地上階数を6階(4階以上は住宅で38戸)に抑え、屋上や壁面の緑化を行うとともに、1階店舗の床も前面の坂道にあわせ勾配をつけスロープ状にしている。さらに、この参道を挟むように北側の神宮一・三・四丁目(約53.8ha)と南側の神宮五・六丁目(約39.7ha)については、風俗営業の制限と街並み形成に向け緑化や建築物の形態・意匠についてルール化されている。
そしてさいごに、このまちのDNAともいえる「奉仕の精神」をあげることができる。この地の奉仕の精神は、全国からの献木と勤労奉仕によってできた明治神宮の杜に始まり、義援金でできた青山アパートを経て、この伝統は太平洋戦争後も引き継がれる。1953年に復興奉賛会が結成され、空襲により失われた社殿や焼失樹木の再生に向け、全国から寄付を募り(約6億円、その他に建設資材の物品奉賛もあった。)1958年に完成する。
この奉仕の精神は、伝統となり現在もなお地元に受け継がれている。地元では、先に紹介した造園業者の例のほか、今日でも「商店振興組合原宿表参道欅会」などを中心に、防犯活動としてのパトロールや、町会とも連携した防災訓練、また地区美化推進委員会と連携した清掃活動や路上喫煙の禁止に向け諸活動を展開している。この他にも夜景づくりのイベント開催など、来街者にまちを楽しんでもらうため、おもてなしの心をもって、お洒落な通りの界隈性の維持増進に向け、まちづくりを下支えする地道な活動を続けている。