12月8日(土)午前4時過ぎ、参議委員本会議で出入国管理法の改正が可決された。
今後、少子高齢化によって国内の労働者が5年後には約145万人が不足するという予測のもと、5年後までに27万人~34万人の外国人労働者を受け入れるための法律改正である。
巷間では、実質的な移民政策だ、治安が悪化するといった声も聞こえるが、ここは「労働者の減少」と「外国人の生活」の2つに分けて考える必要があるだろう。
農業、介護、建設業、外食業では5年後には10万人から30万人の労働人口の不足が見込まれている。少しでも労働者を確保しようとするのが今回の改正である。習熟した技能をもった外国人は、家族帯同や在留期間も更新されていくため、実質的には永住することも可能であろう。
人手不足により品質が悪化したり、廃業する農家や企業が増えるよりも、「産業の維持」「需要増に対する対応」を計画的に支援することは産業にとっても消費者(需要者)にとっても良いことである。では、なぜ外国人に対する(あるいは移民政策に対する)拒否反応が起こるのだろうか?
「外国人観光客」に対しては寛容を示すどころか、外国人観光客に来訪してもらおうと、地方公共団体や民間企業は躍起になっているにもかかわらず、移住されると困惑を示すという「??」の感覚はどこからくるのだろう。
最も大きい理由は「外国人との生活(共に暮らす)」に国民が慣れていないことかもしれない。国内ではすでに「外国人の町」に変貌した地区も見られるようになった。周辺住民にとってみれば確かに「異質な空間」に写ることだろう。
人は、同じ考え方、価値観、言葉、習慣、人間関係、見た目(服装や髪型)など生活上の同質性によって、安心感と集団に対する帰属意識が高まる。しかし、外国人が集団で生活している地域や社会は、時には「異質」に見える可能性がある。外国人にとっても、一人で生活するより同邦人と暮らす方が安心感があることは想像に難くない。
大都市では、日本人ばかりの地域であっても「隣人や近所の人たちと話をしたこともないし、顔も見たことがない」「町内会活動は1度も出たことがない」という人が多いのではなかろうか?つまり、日常生活をする上は、隣が外国人なのか、日本人なのかはあまり関係ないと解釈しても良い。それでも不安が残るのは、「どう対応して良いかわからない」というコミュニケーションの問題なのかもしれない。
もちろん、人種や思想・信仰などの違いで差別することはそもそも論外である。「日本の文化が失われる」という懸念もあるかもしれないが、既に祭りや年中行事、食習慣については従来からその形を変えつつある地域も少なくない。
大都市のこのような生活状況は、単に「同じ日本人だから・・・」という理由でなんとか暮らしている状況かもしれない。一方で、地域社会がしっかりしている地域であれば、外国人であるかどうかはそれほど問題ではなく、相互理解と交流によって新たな地域社会が生まれる可能性がある。
つまり、孤立化した都市社会ではますます外国人を受け入れにくくなる可能性があるが、しっかりとした地域社会を形成することが相互に人的交流を持続させ、新たな地域社会が生まれることに繋がっていくのではないだろうか。