2019/03/08 都市計画と風景ー矢切物流施設建設問題を題材にー

松竹映画「男はつらいよ」シリーズは、1969年に第1作公開後、1995年までの26年間にわたり全48作品が公開され、主演した「寅さん」こと故・渥美清氏が”一人の俳優が演じた最も長い映画シリーズ”としてギネスブックにも認定された国民的映画だ。

寅さんの故郷である葛飾柴又には「帝釈天」があり、現在も寅さんゆかりの観光地として大いに賑わいを見せている。私も何度か帝釈天を訪れたが、「帝釈天参道」には昔の面影を残した店舗が立ち並び、もちろん寅さんの撮影舞台となった団子屋も健在である。

帝釈天でお参りをし、そのまま江戸川に抜けると歌手細川たかし氏の代表曲「矢切の渡し」で有名な、江戸川を渡るための「渡し場」が今も営業をしている。渡し船で対岸につくと、そこは千葉県松戸市矢切地区となる。堤防を越えると農地が広がり、首都圏では珍しい田園風景の中を散策することができる。田園地帯を抜けた先は高台となり、坂を登ると住宅地が広がるのだが、その境目には南北に雑木林が続いている。雑木林の途中には「野菊の墓文学碑」が木々に囲まれてひっそりと建立されている。小説家伊藤佐千夫氏の代表恋愛小説「野菊の墓」の舞台がこの矢切であり、矢切の渡しは恋人の最後の別れとなった場所という悲しい舞台でもある。

矢切の田園風景に物流施設の建設が浮上

まず、この「矢切地区」周辺の位置関係、帝釈天から矢切の渡し、田園地域と野菊の墓記念碑を見てみよう。

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(国土地理院航空写真をもとに加工)

上図の左下が東京都葛飾区の柴又地区、矢切の渡しがあるところが江戸川、そして中央の「田園風景」となっているところが松戸市矢切地区の農地地域、その右側には南北に樹林地がとおり、その中に「野菊の墓文学碑」がある。そして、図の右上を見ると、2018年6月に、市川市の湾岸線から三郷方面につながる外環道が開通したのを機に、幹線道路の国道6号からこの外環道に乗り入れることが可能となり、飛躍的に交通利便性が高まることとなった。松戸市はかねてより、この田園風景を残すべく、平成11年に策定した「松戸市都市計画マスタープラン」において2020年までの計画として、将来都市実現の基本方針の一つに「水・みどり・歴史資源を大切にする都市づくり」を掲げ、主要な取り組みとして「矢切地区に代表される江戸川沿いの樹林地、農地の保全」を軸としている。

この田園風景を織りなす農地地域は市街化調整区域であるが、2018年、国道6号に近い農地約15ヘクタールを利用して500憶円以上をかけて2階建て物流倉庫3棟を建設するという計画が持ち上がった(朝日新聞報道)。地元農家や市議、市民らは「矢切地区の農業と景観を守りたい」として反対団体が発足したのである。

都市計画と風景保全の葛藤

近年、インターネット通販の急速な拡大により、配送業者の人手不足とともに、物流拠点となる大規模物流施設用地も不足している。消費者は大都市圏が圧倒的に多いものの、大都市圏には大規模物流施設を建設する適地が乏しいため、遠隔地や湾岸エリアで建設される傾向にある。年々増え続けるインターネット通販の需要に対して円滑な物流を実現するために都市近郊に大型の物流倉庫を確保することは、消費増大と市場の拡大には必要な施策である。加えて2018年の外環道の開通により、物流交通網の利便性が向上したことで、当エリアに物流施設を建設することは、消費者にとっても物流業者にとっても大きなメリットが享受できると予想される。

一方で、矢切地区は長らく江戸川沿いの肥沃な土壌に恵まれていたことや、市街地よりも低い土地であったことから農業に適した地域として都市計画上も市街化調整区域とし、農地を保全してきたという経緯がある。加えて矢切の渡しや野菊の墓などの歴史的資源と遺産が存在し、のどかな田園風景を体験したい観光客が訪れる観光資源にもなっている。

経済合理性、都市計画上の効率的な施設の配置を考えれば、矢切地区における物流施設建設の経済効果は非常に大きなものになる可能性が高い。大規模施設が建設されれば、固定資産税等の税収も見込まれる。一方で、田園地域の一部に大規模な倉庫が鎮座し、その周辺では大型貨物トラックが頻繁に通行していたとしたら、これまでの「のどかな田園風景」を大きく損ねてしまうことになりかねない。

これが、賛否両論となって現在でも松戸市では論議が継続されているのである。

松戸市と農家の思い

近年、農家では「後継者がいない」という悩みを抱え、農業従事者の高齢化も進み、農地を維持することができるかどうかという問題に直面している。矢切地区でもこの問題は発生しており、田園風景を維持するための後継者がいなければ耕作放棄地となる懸念を持っている農家もいる。田園風景は一つ一つの田んぼや畑がしっかりと耕作され続けることで初めて実現するものであり、後継者問題等を背景に物流施設などを建設してしまえば田園風景全体が損なわれてしまうため、松戸市としても急速に開発を進めることに対しては慎重な姿勢をとっている。松戸市、市議会、地権者などそれぞれの立場や思いが交錯し、そのどれもがよく理解できるが故、今後の検討は2020年以降の都市計画マスタープラン策定に預けていく方針と報道された(2019年2月22日の朝日新聞報道)。

土地が泣いている

日本不動産研究所初代理事長である櫛田光男は同機関誌「不動産研究第7巻 第2号」で「土地が泣いている(1)」を寄稿している。そこには「住宅地の開発についても、単に物理的に住宅の供給をするのは駄目であって、単に寝るだけの住宅、従属都市の植民地的団地ということは再検討すべき」と訴えた。都市づくりに欠かせないことは「自然と歴史を充分に尊重すること」などを検討してほしいと願った。

昭和34年設立以降、日本不動産研究所は地価対策、都市計画、国土利用計画などに関する法整備に大きく関わってきた。そして、この櫛田の訴えに代表されるように日本不動産研究所は、都市づくりと人間と歴史と自然との共存共栄をいかにして実現すべきかに主眼におき、努力を重ねてきた。

近年、不動産開発はその収益性や経済合理性を重視するが故に、地域的歴史や人々の繋がりについて関心が薄らいでいるのでは?とも思えるケースが見受けらる。もちろんビジネスである以上、このような指標も60年以上前から確かに存在し、それを否定するものではないが、経済活動と自然環境の両立という課題として受け止めなければならない。

今回の矢切地区における物流施設建設計画が櫛田の願いのように、農業従事者にとっても、松戸市民にとっても、何より歴史と田園風景に思いを寄せる多くの観光者にとっても良い結果となるような解決策を見いだしてもらえることを願うばかりである。