2019/08/29 社会と人間と専門家(その2)

みなさん、こんにちは。幸田 仁(こうだ じん)です。

前回に引き続き「社会と人間と専門家」についてお話したいと思います。

その1では、観測者意識と当事者意識の違い、数字の社会と心の社会について考えてみました。

その2では、われわれ専門家である不動産鑑定士の不動産鑑定評価の実践について考えてみたいと思います。

不動産の価値と不動産鑑定評価

不動産の価値

不動産の鑑定評価は「その対象である不動産の経済価値を判定し、これを貨幣額をもって表示することである。」と不動産鑑定評価基準で定義されていますが、皆さんは「不動産の経済価値とは何か?」と問われたとき、それを明確にイメージできるでしょうか?

経済価値というのだから、売ったり買ったりしているときの価格が経済価値でしょ!と思うかもしれません。しかし「価値」には様々なものがあります。一つは主観的な価値(個人の思い入れや、特別な人や組織、あるいは地域社会で発揮できる特別な価値)で、これを「使用価値」と言います。もう一つは、売り手と買い手が話し合って決まる「交換価値」で、さらに多くの人々が一所に集まって売り買いをする市場で決まる「市場価値」があります。

この経済価値について、初代理事長の櫛田光男も「不動産の鑑定評価に関する基本的考察」で以下のように述べています。

「われわれの社会においては、市場があって、そこで多数の個人的主観が淘汰され、ろ過され、一つの市場価値というものが絞り出されます。これは二人の主観の合致(二人で合意した場合の交換価値)を超えて多数の主観の競合の結果到達するものであります。その故にこの市場価値というものは最もその客観性を主張しうる、私はそのように考えます。使用価値(主観的な価値)が交換価値(取引当事者で合致する価値)となり、この交換価値が市場で形成されて市場価値となり、最も客観性のあるものとなるのであります。」

不動産鑑定評価という実践

日本不動産研究所設立期からのメンバーで、季刊「不動産研究」で不動産鑑定評価に対する理論展開を行ってきた米田敬一は、不動産鑑定評価の意味や意義について多くの考察を残しています。米田の考える実践理論のポイントは以下のようなものです。

・まず、不動産に接触することからはじめなければならない。そして不動産のあり方の外形的なものを感性によって認識しなければならない。実践に欠かせないことは認識の深化ということである。不動産の価格を決定する一連の手順は、理性的認識への手段であり、それを実践に適用して認識の真理性を検証することとなる。そこで実践は認識の源泉であるとともに、またその真理性の規準となるものである。

・経済学上の概念は価値の是非善悪をいう、つまり価値判断の価値ではなく、名目的な価格の奥に、これを説明するために実質的な関係を考える概念である。鑑定評価の場合は哲学的価値判断であって、理想的なもの又は正邪の判断が先駆する。

・鑑定評価の実践においては、経済価値の認識を要するものであるが、その認識は直感でなく理性を持って分析、綜合により深く推論することであり、その際鑑定人は鑑定人の主体が認める価値を判断しなければならない、それは主観的である使用価値によって客観価値を導き出す作業を要する。

・不動産鑑定評価では、不動産を取りまく全ての要因について、段階的に、側面的に価格を統一しようとするもので、それらの要因、段階、側面を網羅し、止揚(低い段階から高い段階に高め、低い段階の良いところを残しつつ新しいものを生成すること)してはじめて遂げられる。その点、科学的研究が異質なものを捨象し、同質なものを抽象して普遍的理論を発見するものとは異なる。

米田が重要視していることは、外面と内面、主観と客観、異質なものの統合、実践と認識をくり返すことによる鑑定人の認識の深化です。不動産鑑定士にとって重要なのは認識を高めるための実践活動であり、実践活動を通じて主観的認識を止揚することになります。

専門家の本質的な役割とは

地域という「空間」を感じ取る

「空間学」という研究分野があります。これは桑子敏雄氏をはじめとする研究者グループが構想した学問で、「日本の国土空間に立って問題を捉え、地域の人々と議論し、解決策をさぐっていくための実践的な学問」と説明しています。また、空間学メンバーの一人である延藤安弘氏は空間学の創発的方法にあたり、「専門家は、単なる観察者ではなく行為者である。状況の中に参入し、生活と空間、人間と環境の間を多面的に見るとともに、地域住民の語ることに耳を傾け、内なる衝動を感じとり、そこで多発する出来事を五感をフル動員して把握する。専門家は、対象に内在する創発的意味を引き出し、生活知・暗黙知の価値を抽出し評価する役割を帯びた存在である(日本文化の空間学 桑子敏雄編)」と説明しています。

これは不動産の鑑定評価の意義とその実践において大いに参考になる説明だと考えます。不動産が存する地域の特性は、その地域で暮らし、様々な活動を行う人々が長い時間と歴史の中で作り上げてきたものでもあります。それは、都市計画法などの法制度や、人口・産業・消費といった統計的データでは表現されない価値があるとも言えます。延藤氏の言葉を借りるならば、専門家としての不動産鑑定士はその地域に内在する価値を引き出し、その価値を専門的な知見から評価する役割を負っているということになります。

現実を認知するということ

日本における多くの心理療法を研究した心理学者で、特に臨床心理学の第一人者である河合隼雄氏は自著「心理療法序説」において、心理療法家という専門家が心理療法に従事する際に問題となる「現実」について以下のように説明しています。

「心理療法家は、「唯一の正しい現実」が存在すると考えるよりは、現実を人間がどう認知するか、そして、そのような認知の仕方は、その人にとってどのような意味をもち、周囲の人々とどのように関係するか、ということに関心を払うことになる。」

「「現実」は各人のファンタジーによって創造されているのである。いうなれば各個人が一瞬一瞬、現実を創造しているのだ。創造は大げさであって、人間は現実を「認知」しているのだと言う人もあろう。その際、認知という言葉の英語にはrealization(リアライゼーション)という語をあててみると、それは「実現」であると共に「認知」である。現実を認知することは何らかの実現が伴うのである。」

そして、専門家である治療者の態度として、「当事者(河合氏の中ではある恐怖症を発症した患者)が認知した「現実」について、専門家としての治療者は、彼の認知が間違っていると考えるのではなく、彼がそのような「現実」によってどのようなことを実現しようとしているのか、あるいはこのような苦悩を通じて、どのような現実を実現(リアライズ)しようとしているのか、共に考えようという態度で接するのである。」と説明しています。

このように、どの専門家もその専門知識をもって観念的、概念的に事物や社会環境、人々の意識をとらえるのではなく、その場に身を投じその環境や人々の意識を共に感じ取ることで、自己の主観的な意識や認識を再認識するという実践行為を通じて、解決すべき対象の本質を見極めなければなりません。

専門家として認識を高めるために

少しばかり小難しい話になってしまいましたが、要は不動産の鑑定評価は、当事者となって不動産やそのとりまく環境やその地域、そこで暮らす人々が認識している「現実」を感じ取るという実践活動を通じ、その地域や人々が実現している「現実」を理解することであり、またそれは、彼らが認知していない(見えていない)現実を、専門家の立場から認知してもらう(現実として彼らに意識してもらう)ことでもあると考えます。

そして、専門家の立場から、見えない現実を「見える化」するためには、多くの経験と自己の主観にとらわれない視点で不動産や地域社会を見ること、感じ取ることができる「感性」を養い、磨くことが極めて重要なのだと改めて感じました。(幸田 仁)