みなさん、こんにちは。日本不動産研究所の幸田 仁(こうだ じん)です。今回も、前回に引き続き所有者不明土地とコミュニティについてお話させていただきます。
その2では、明治以降の産業構造の変化と経済成長・発展という切り口から、私達の「暮らし方」に対する意識がどのように変化してきたかという点について、私見ではありますがご説明したいと思います。
まず、現在の所有者不明土地問題について、簡単に説明いたします。
国や地方公共団体(都道府県や市町村)は、国民の安全で快適な暮らしや活動を実現するために、道路や公共公益施設を建設してきました。例えば道路を考えてみましょう。道路を建設する場合、建設予定の土地は買収することを原則としています。買収するために土地の所有者を不動産登記情報等から特定し、交渉を進めていくことになりますが、買収予定の土地所有者がわからない場合(所有者不明土地)は交渉することができません。この場合、道路建設する側が土地所有者を探さなくてはならないのです。所有者を探し出すまでは土地を買収できないため、場合によっては膨大な時間と労力が必要になるのです。
国土交通省による平成28年度の地籍調査では不動産登記簿上で所有者が確認できない土地の割合が約20%に達しているとの結果がでています。
そこで、国は平成30年6月、所有者不明土地について利用の円滑化及び土地の所有者の効果的な探索を図るために法律を制定しました。これがタイトルにある法律です。この法律によって所有者不明土地を利用して地域住民等の福祉や利便の増進のための施設を整備することができることになりました。概要は地域福利増進事業パンフレットを参照ください。
所有者不明土地の発生理由を考えてみると、近年の土地制度や不動産市場、戦後の日本国内産業の変遷、あるいは大都市への人口集中と地方都市の過疎化など様々な理由が考えられます。いずれも国土開発、産業政策、都市計画など主に政治や行政の施策による社会経済の構造変化がもたらしたものとも言えます。
しかし、私はもう一つ大きな理由があると考えています。それは、人々の意識や価値観の変化です。
明治維新によって本格的な資本主義経済が始まり、当時の政府は殖産興業、富国強兵を旗印に多くの産業転換を推進しました。特に殖産興業のために必要であった金融システムとして、明治後期に日本勧業銀行(日本不動産研究所の前身でもあります)、農工銀行、北海道拓殖銀行、日本興業銀行などが設立されました。明治から昭和初期にかけての中心的な産業は農業と工業です。そして、日本は4度の諸外国との戦争を経験し、終戦を迎えました。戦後焼け野原となった日本は、重工業を中心とした産業復興により大量の労働者が地方から大都市に移動したため、住宅や商業地も含めた大規模な都市開発が行われてきました。
明治以降このように全国的な農林水産業や鉱業を中心とする産業から、大都市圏域を中心とする重化学工業や製造業へと変化し、高度経済成長からバブル経済とその崩壊、そして2000年以降のIT社会の到来と小売・サービス業を中心とする経済になりました。このような産業変化によって、人々のライフスタイルや価値観も大きな変化を遂げていると私は考えます。
例えば、農林業に従事する人々は、土地から生み出される農林産物が重要ですから、家族で経営することを中心に、同じ集落で暮らす人々との関係性も世代を超えて親密だったこととでしょう。そのため、「農地や山林の所有者は誰か?」については「当然にわかっていること」、いわば当たり前に知っていることだったと思います。
一方で、高度経済成長期から現在に至るまでの状況を考えてみると、大都市に集中した多くの労働者はそのまま大都市で暮らすこととなります。住まいは大都市郊外等に開発された住宅地域です。そこで一戸建てや共同住宅を購入して暮らすことが標準的となりました。現在ではさらに進んで大都市に続々と高層マンションが建設され、職住近接型の都市生活を送る人々も増えています。その結果、郊外では高齢化が進みました。都市部では若い家族や単身世帯が暮らすことになり、地方都市はより一層、高齢化と過疎化が進み、農林漁業は衰退してしまいました。
そして2000年前後のIT革命、グローバル化と投資ビジネスの拡大により、不動産は投資対象としての取引が重視されるようになりました。このような利益重視型の社会経済構造の変化は、企業の経営戦略やビジネスモデルのみならず、そこで働く労働者のライフスタイル、消費行動、対人関係などの行動規範や価値観にも大きく影響を与えたことでしょう。企業や経済が利益を追求するあまり、そこで働く人々の活動も「損得」で考えるという行動規範が一般的になったと感じています。
特に都市で暮らす人々は、どこに誰が住んでいるのか?は知らなくても、自分の稼ぎ(収入)には直接影響することはなくなりました。自分にとって利益がある事柄には関心が向かうが、ほとんど利益がないことには無関心という価値観や意識です。このような価値観・意識は他者との関係でも起こりますから、それが職場であろうと自分の居住地域であろうと同じです。「どこまでを仲間であり、共同体の一員であるか」という感覚は、かつての農林業を中心とする地域社会での意識から変貌を遂げたと言えます。
戦後の経済成長、物的な豊かさ、便利な大都市での暮らしという「個人としての豊かさ」を手に入れた一方で、「集団的な豊かさ、他者への関心」という地域社会をつくるために必要な「つながり意識」を失ってしまったと私は考えます。
次回は、この人々の意識の変化と所有者不明土地問題とのつながり、そしてこの問題を解決するために必要な人々の意識と価値観について考えてみたいと思います。