みなさんこんにちは、日本不動産研究所の幸田 仁です。
つい先日、我が家にもAIスピーカーを導入してみました。話しかけるフレーズは限られていますが、ニュースや天気予報、音楽、テレビなど電化製品の操作をしてくれるため、子供たちも面白がっていろいろと試しています。これが日常になるとどうなるのか、という一抹の不安もありますが・・・
さて、今回から数回にわたり日本不動産研究所の創立に関わった人物を紹介しながら、当時の日本社会、経済、戦後日本を振り返りつつ、これから私達が進むべき道を考えていきたいと思います。その第一弾として初代会長の渋沢敬三(1)をご紹介します。
弊所が発行する「不動産研究」は昭和34年(1959年)7月に創刊されました。その巻頭に初代会長渋沢敬三の「発刊に際して」が寄稿されています。当時の言葉をそのまま掲載すると読みにくい部分もあるので、一部表現をわかりやすくして以下に転載します。
物のうち容易に動かすことができないものが不動産であり、民法上土地建物又は土地に定着している立木等を指すと普通の辞書には記載されております。しかし動かすことが出来ないという土地であっても、時には川の流れによって浸食され、陥没、地すべり、地震火事などの災害で一瞬に消失する場合もあり、社会情勢や都市の発展により立派だった建物が取り壊されたり、あるいは埋立などでたちまち何もなかったところに土地が生まれることもあります。不動産は永遠に不動だと人々は観念の中でのみ成立しているもので、あたかも人間の一生よりも長くありつづけると思っている法人(会社組織)がかえって短命に終わってしまうということも良くあることではないでしょうか。
人々が不動産と考えているもの(建物や工作物)を乗せている地球でさえ、24時間で一回転し、一年では太陽の周りを超スピードで大旅行し続けているわけですから、宇宙的にみれば(不動産と私達が考えている物でさえ)不動産どころか大きな動産(つねに動いているもの)でもありましょう。
結局、人々が社会経済生活を営むなかで、不動産というものは「動かないもの」とお互いに決めておいた方が便利であるからというように約束しただけの概念ではないでしょうか。
先般、高層アパート(マンション)の6階の一区画を購入した友人が、部屋の壁を指さして「この壁の中心までがおれのものだ」と笑っていましたが、壁だけでなく天井も床もその中心までがお隣との境界であり、土地の場合よりその境界はさらにややこしくなって来ました。
土壌の質、位置、需給、交通、利便性の良否等、さらには様々な文化施設の興亡は人々に対して特定地域(都市の機能性やその歴史観)の価値概念を異常に変化させてしまい、それに加えて貨幣価値の変動(戦後のハイパーインフレか?)も時に急激となる場合もあってかなり不自然なアンバランスを起こすことは戦後体験しているところです。
全く不動産の価格ほど不動ではない(変化が激しい)ものはないと言いたいくらいで、問題の核心は経済心理学(つまり人々の経済行動心理)にあるのではないかと思うほどです。
戦後特に複雑で不均衡になってしまった不動産の現象を科学的に究明し、かつ、その根拠を明らかにし対策方法に合理性を与えることの必要性は全国民に有益であり、希う(こいねがう)ことでもあります。これを堀武芳日本勧業銀行頭取が先頭を切って唱え、本研究所がそのもとに設立された趣意(真意)もここにあるのではないでしょうか。
だからこそ、不動産に関する研究やデータの周知研鑽の場としてこの機関誌「不動産研究」の誕生はまさに存在理由が明確なのです。
「不動産研究」はただ日本不動産研究所の研究員のみのものではなく、多くの一般の方々に利用してもらうために研究所が全身をなげうってでも発刊し続けていくべきものと信じます。
櫛田理事長をはじめとする練達の士(さむらい)の運営に期待しつつ、発刊をお祝いいたしたく思います。
このように渋沢敬三は日本不動産研究所に期待を込めて活動を始めました。「言葉」そのものには軽重はありません。単に「記号」や「伝達ツール」というものであるでしょう。ただ、同じ言葉でもそれを発する人の状態(年齢や経験、教養や地位)によって言葉の「重み」は大きく変化します。「ありがとう」という言葉、「期待します」という言葉、その言葉を発した人がどんな立場の人なのかで、受け取る方の感じ方も大きく変わるでしょう。
最近は言葉に気持ちが入っていない、乗せていないと感じることがあります。気持ちを乗せて言葉を伝えなければ、他人の言葉にどれだけの気持ちが乗っているかにも気づかないかもしれません。気持ちが乗っていない言葉は軽く、言葉一つ一つに気持ちが乗るととてつもなく重い言葉となり、はたまた受け止めきれないほどの重さになることもあるかもしれません。
この「発刊に際して」の言葉には、渋沢の生き様と人生がにじみ出ていると感じます。激動の時代に生き抜いた人たちの後ろには、戦争で亡くなった多くの人々の影があることでしょう。そういう時代の言葉だからこそ、言葉一つ一つに込められた重みや「希望」の意味、「国民」に対する思いが伝わってきます。
私達は戦争を知らず、冒頭のAIスピーカーなど豊かな暮らしを手に入れることができました。しかし次々と社会的な問題、不動産に関する課題は山積しています。これらの諸問題に立ち向かう「志(こころざし)」は当時と変わらないという思いを言葉に乗せていきたいと思います。(幸田 仁)