みなさんこんにちは。日本不動産研究所の幸田 仁です。
今年初めから新型コロナウイルスの感染が世界に拡大し、多くの会議やイベント、スポーツ大会などが中止や延期となっているようです。昨年10月の消費税増税によって経済成長も下落基調となっている中、今回のウイルスの感染による観光、産業、経済活動への影響が心配されるところです。
読売新聞の報道によれば、東京都練馬区に所在する遊園地「としまえん」が閉園し、跡地に「ハリー・ポッター」のテーマパークと東京都の防災対策強化として「都立練馬城址公園」の整備に着手するという方針が表明されました。「としまえん」は1926年(大正15年)に開業した老舗の遊園地で、流れるプールやウォータースライダーなどを中心に多くの人々に長年愛されてきた都市型遊園地というイメージが定着していましたので、閉園を惜しむ声が様々なメディアで報道されました。
現在では「遊園地」という言葉よりも、東京ディズニーランドや大阪ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどに代表される「テーマパーク」が主流となっていますが、「としまえん」のような遊園地というイメージは、ジェットコースターやメリーゴーランド、コーヒーカップなどの遊具のほか様々な種類のプールがあり、家族で楽しむレジャーランドといったところでしょうか?
遊園地やテーマパークの専門的な施設についての意味や意義は他の専門家に委ねることとして、そもそも遊園地という施設ができた歴史的背景を考えてみたいと思います。
1872年(明治5年)に新橋ー横浜間に日本最初の鉄道が開業しましたが、この鉄道は官設官営、つまり国家による鉄道建設を中心とするものでした。その後、明治維新初期の混乱などによって国主導による鉄道建設計画は困難になり、紆余曲折を経て、東京中心部では浅草ー新橋間で地下鉄の開業や1909年(明治42年)に電化され1925年(大正14年)に山手線が環状運転を開始しました。
これらの交通革命(人力車や馬車から地下鉄、電鉄へ)によって人口が東京都心部に集中し、住宅不足問題を背景に住宅地は必然的に郊外地域へと拡大することになりました。郊外に住宅地を拡大するとなれば、東京都心部への移動時間、輸送人員はより速く、より多くの人々を運ばなければなりません。これらの鉄道事業を担ったのが多くの私鉄でした。
都心と郊外を結ぶ主要な私鉄を例にあげれば、「京浜電鉄(明治32年)」「玉川電鉄(明治40年)」「京成電鉄(明治44年)」「京王電鉄(大正2年)」「武蔵野鉄道(大正11年)」「目黒蒲田電鉄(大正12年)」「東京横浜電鉄(大正15年)」「小田原急行電鉄(昭和2年)」・「西武鉄道(昭和2年)」などなど、今でもなじみのある私鉄はこのころ誕生しました。
とはいえ、私鉄は単に鉄道を敷設して、郊外に住宅地を開発するだけでは収益をあげることは難しかったことも事実でした。
苦しい私鉄事業を独創的なアイデアで私鉄経営を多角化し成功した人物がいました。小林一三氏です。
小林一三氏は1907年(明治40年)に箕面有馬電気鉄道を創立した後、1920年(大正9年)に阪神急行鉄道と改めました。小林氏の発想は「郊外にマイホームが持てる」「レジャー施設が沿線にある」「ターミナル駅に百貨店で買い物ができる」といったコンセプトでした。当時としては類い希なる独創性と人々への好奇心をかき立てる発想だったといえるでしょう。
当時の箕面有馬電気鉄道の終点に作られたレジャー施設「宝塚ファミリーパーク(開業当初は宝塚新温泉)」は明治44年の開業、その後「宝塚歌劇団」の公演など、人を呼び込むため様々な仕掛けづくりを行ったのです。
東京急行電鉄の創始者である五島慶太氏は、1922年(大正11年)に目黒蒲田電鉄株式会社を創立しました。その際、鉄道経営にあたっては小林一三氏からの指導と知恵をもらいながら、様々なレジャー施設と渋谷のターミナルデパートとして東横百貨店を開業しました。
そして、この東急電鉄の後押しをしたのが渋沢栄一氏らの理想的な「田園都市」の開発を目指して設立された不動産開発会社「田園都市開発株会社」だったのです。
今回の「としまえん」を経営している西武グループですが、西武グループの創立者である堤康二郎氏は、私鉄経営よりもレジャーや観光産業に重点をおいた経営が始まりでした。
堤康二郎氏は1920年(大正9年)に箱根土地株式会社を設立し、その後、箱根地区を中心とした別荘地開発のほか、伊豆や軽井沢でも別荘地を手がけ、1925年(大正14年)に鉄道経営を開始し、現在の「としまえん」を含む遊園地やホテル、リゾート地開発を数多く手がけました。
「遊園地」という響きに何かしら懐かしさを覚えるのは、休日の家族レジャーの中心であり、子供の頃の思い出の場所というイメージがあるからではないでしょうか。現在のテーマパークはどちらかといえば、日本全国あるいは世界中からの観光客をターゲットに経営されている印象があり、憩いの場というよりも、別世界での体験というイメージに思えます。
私は昭和生まれですから、両親が連れていってくれた遊園地での思い出はとても懐かしく感じます。観覧車やゴーカート、ジェットコースターに乗って感動した思い出、ソフトクリームやポップコーンを買ってもらい、家族で一緒に食べたうれしさ、今では当たり前かもしれませんが、幼少期の楽しかった思い出は今になっても忘れないものです。
「遊園地」は鉄道経営と一体として開設され、郊外住宅地への誘致と娯楽・レジャーの提供という洗練された経営による都市開発の一部だったかもしれませんが、現代のようにテレビゲームやインターネットがなかった時代には、余暇を家族で過ごすことがごく当たり前だったような気がします。ライフスタイルの変化によって「遊園地」の減少は、もしかすると「家族と余暇を過ごす空間」を失っているということなのかもしれません。(幸田 仁)