2023/02/21 【コラム】住宅問題の変遷と対応

みなさんこんにちは、日本不動産研究所の幸田 仁です。

人は誰でも安息できる居場所がほしいものです。しかし、近年、住宅が必ずしも安心・安全な拠点といえない状況が見え隠れしています。 昨今は高齢者世帯を狙った詐欺や強盗事件が相次いでいます。また、親子関係で見ても厚生労働省による児童虐待相談対応件数は、約207千件で過去最多と報告されました。

今回は、住宅問題の変遷をたどりつつ、これからの住宅問題に対する専門家としての役割について考えてみたいと思います。

住宅問題の変遷

昭和20年(1945年)に戦争を終えた日本は、相次ぐ空襲により大都市は焼け野原となりました。家を焼かれ、住むところもなく、食べ物もない状態が戦後復興の出発点でした。多くの人々がまともな住宅がなく、旧兵舎、学校、防空壕(バラック小屋)、さらにはバス住宅や汽車住宅、壊れた船などの水上生活者であふれていました(「住まいの戦後史」塩田丸男著 サイマル出版会発行)。

戦後直後の住宅問題とは、「まともな住宅を確保すること」でした。

その後、日本はめざましい戦後復興を遂げ、昭和30年代には本格的な工業化時代を迎えます。また、住宅団地開発を目的として、昭和30年(1955年)には日本住宅公団が設立し、「団地ブーム」が起こります。

急激な工業地帯の拡大により、太平洋側を中心に大規模コンビナートが続々と誕生したことで、経済成長に大きく貢献しました。しかし、過密化する都市の中で暮らす人々の住環境は悪化します。その結果、昭和40年代には大気汚染、水質汚濁、騒音、悪臭といった公害が深刻化し、住宅問題は環境問題としてクローズアップしたのです。

生活空間特集

昭和44年(1969年)から昭和46年(1971年)にかけて、弊所機関誌「不動産研究」上で「生活空間特集」が企画されました。特集の最後に「生活空間をめぐる諸問題」座談会(出席者は外部有識者、実務家7名と弊所櫛田を加えた8名)が行われ、当時の時代と背景が良くわかる内容で、話題は都市計画、環境、団地管理、コンピュータの可能性など、専門的、先見的なテーマについて議論されました。

住宅の外側から内側の問題への変化

住宅は本来、心身の健全性を維持する空間であり、働く人々や家族の安息の空間でなくてはなりません。戦後長らく住宅問題は住宅不足、住環境問題という、いわば住宅の外側の問題でした。しかし、近年は住宅の内側でおこる問題(家庭問題)へと変化していると感じます。親族間の殺人事件、高齢者世帯の詐欺や強盗被害、孤独死、介護問題、夫婦間や親子関係では虐待(DV)と深刻です。

不動産の内側でおこる問題への対応

不動産は人々の生活と活動の基盤であり、その地域で暮らす人々との関係性のうえに成り立ちます。そのため不動産の価値は、地域における人々の価値観や行動規範性によって決まるといえます。上記特集の「はしがき」で初代理事長櫛田光男が以下のように記し、不動産探究の原点は居住空間(住宅)であると説明します。

「生活空間の問題は、いわばわれわれの生活行動のすべてにかかわりのある空間に関連する問題といってよろしいでしょう。(中略)われわれの生活空間の中で、今日の労を癒し明日の力を生み出す空間として最も端初(ママ)的であり、かつ根源的でもある居住空間というものに先ず的を絞って研究に専念いたした次第であります。(一部省略)」

病気を体の外側から治療するのが外科で、内側から治療するのが内科であるように、これまでの住宅問題が外科的なものであるとすれば、現在の問題は内科(あるいは心療内科)の問題と例えられるかもしれません。

豊かな社会の実現に貢献することが専門家としての不動産鑑定士の役割であるとするならば、多角的に人々の暮らしをつぶさに捉えることによって、その時代の「不動産のあり方」を認識することが必要だと考えます。 (幸田 仁)