まちづくりの経緯(バブル崩壊、地下鉄開業)

Vol3. 東京・六本木 自然地形を活かし緑を保持して 機能融合型のまちづくり

Vol3. 東京・六本木 自然地形を活かし緑を保持して 機能融合型のまちづくり

東京藝術大学美術学部建築科 講師 河村 茂 氏 博士(工学)

1.14 UPDATE

まちづくりの経緯 – バブル崩壊、地下鉄開業

 この地のまちづくりは、いわゆるバブル経済が始まった1986年、まちの更新に向け再開発協議会が発足したことにはじまる。その2年後の1988(昭和63年)6月には、時の勢いを得て再開発準備組合が結成される。その後、都の都市再開発方針において、この地が「再開発誘導地区」に位置付けられると、補助金が入り事業推進のための調査が実施されるなどしてまちづくりは動き、1994年(平成6年)には再開発型の地区計画と第一種市街地再開発事業の都市計画が決定される。この時点において権利者数は85名であった。その翌年に事業施行者となる市街地再開発組合の設立認可を得るが、折悪しくバブル経済が崩壊、その後遺症として長きにわたり土地価額が低迷、再開発にとって大変困難な状況が続き事業は足踏みをする。

 しかし、東京メトロ南北線の2000年(平成12年)全線開業が契機となり、21世紀を目前にして再開発事業は動きだす。1998年(平成10年)に権利変換計画の認可を得ると、1999年(平成11年)にはタワー棟の工事に着手、2002年(平成14年)には再開発協議会発足から16年の歳月を経て、ようやく工事が完了、まち開きへと至る。この時、権利者数は53名となっていた。この間に32名、4割近くの人が転出したことになる。総事業費は約840億円で、このうち補助金が約50億円ほど(約6%)入っている。